ツトムジャーナル

考えたこと、チャレンジ受けたこと、びびったこと、うれしかったこと、留学のこと、英語のこと、聖書のこと、日々の出来事。
  [ 言ってることとやってること ]
2012-04-24(Tue) 00:56:24
僕は自分の属している組織での立ち位置上、「指導する」機会が多い。
中学生、高校生、大学生に対して「指導する」立場に身を置いている。

時には言いたくないことを聞きたくない子にガッツを持って言わなくちゃいけないことがある。
言うべきことを聞くべき人にスパンと言い切れ、関係がぐっと縮まることもあれば、
くよくよしてタイミングを見失ったり、感情高まって声を荒げたり、
必要以上の不和を生んでしまうことも多々ある。

「指導する」者として25歳はあまりに青くて甘いなぁと自分で思う。

でも一番きついのは、
言わなくちゃいけないことがあって、絶対に言うべきだって分かってるのに、
自分にも同じ弱さがあって、自分もまだ治ってなくて、結局なんも言えないで終わること。
あるいは、「おれは大丈夫だ。お前しっかりしろよって」言いながら、
腹の中で「おれも全然大丈夫じゃない」って思うこと。

人の目につく嫌なところって結構自分の弱さだったりする。

自分が指導する子達と同じ葛藤や弱さをもっている時点で
そもそも指導者としてレディじゃないとは思うんだけど、
そんなおれだから出来るのは、
上から目線で「こうしろよ」と押し付けるんじゃ無くて、
同じ葛藤してる仲間として「一緒に頑張って行こう」って言うことなんだろうな。

リーダーシップてのはある程度の権威を持って発揮されるものだと思ってたから
そういう低い立場に身を置くのって抵抗あるし、プライドも折れるけど、

言ってる言葉とやってる行動が違うことほど、求心力を失うことは無い。

っていうのはやっぱり間違いない。
だからかっこつけない等身大で、一歩一歩進んでいけたらいいのかなあ。
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  [ クリスチャンであるということ。 ]
2012-04-09(Mon) 22:45:50
キリスト教の世界には、これを言っておけば間違いないっていう定石がけっこうある。

こういう流れでこういうフレーズ並べて祈ればOKっていう定型文。
なんか聞かれた時にこういう感じに答えればそれなりにきこえるっていう模範回答。
こういう動きならばあんばいっていう立ち振る舞い。

教会に来始めると、1、2年くらいで一通りこういう定石が身に付いて行く。
小さい時から教会で育った人間はこの立ち振る舞いのプロである。
どうしたら「クリスチャンらしく」見せられるかが身に付いて可憐な動きになっている。

でもこれがあんまりうまくなりすぎるとやっかいなことになる。
自分の頭で考えないで、自分の心で祈んないで、自分の信仰で立ち上がれない
骨抜きクリスチャンになってしまう。

自分が一体何を信じているかが分からない。
何を握り、何を手放して生きるべきかが分からない。
何に甘んじてよくて、何に絶対妥協しては行けないかが見えなくなる。

模範解答は出来るけど、ちょっと突っ込まれると全然良く分かってない自分に気づく。
クリスチャンであることの素晴らしさを語るとき、ハイテンションな定型文のうさん臭い感じになってしまう。
とりあえず現状維持で今ある立ち位置を貫くために
本当は取るに足らない「こうあるべき」で周りを固めて安全地帯をつくっていく。

クリスチャンとはこうあるべき。
祈りとはこういう手順を踏むべき。
信仰とはこういうものである。
「べきべき星人」が顔を出す。
これが出てくると、自由がなくなる。楽しくなくなる。
発する言葉に力がなくなる。

クリスチャンであるっていうのは、すっごくシンプルな事なんだと思う。

クリスチャンとして生きるっていうのは、自分の中に一本軸を通すこと。

他の何が揺らいだとしてもここに立ち返った時にあるべき姿を思い出させてくれるシンプルな一本軸。

その軸は、

自分は弱い。でも愛されている。汚い。でも赦されている。

これに尽きる。
この愛し、赦してくださった創り主のために自分は生きて行く。
彼の思いがこの地で全うされることを自分の願いとして進んで行く。

この軸を一本人生の中に通して生きるのがクリスチャンとして生きるっていうことだと思う。


クリスチャンとはこうあるべき。
祈りとはこういう手順を踏むべき。
信仰とはこういうものである。
願わくばこういう「べきべき星人」が自分の中からいなくなっていきますように。
よく分かってないのに分かってるふりするのやめられますように。
弱くて情けないのに、「おれは大丈夫」って顔してかっこつけるのやめれますように。
シンプルな軸に余計な皮下脂肪をつけないで生きれますように。
シンプルだけどでっかいキリストの愛がこの心をとらえて、
それが言葉ではなく、行動を変えますように。

ツトム
クリスチャンTB : 0CM : 1
  [ 新しい年 ]
2012-02-26(Sun) 00:24:20
気抜いたらすぐ一ヶ月経ってしまいます。

Facebookにツイッター、日々のメールと授業ノートと何をどこに書いてるのか分からなくなりそうですが、
さらに新しいブログも始めました。

マネージャーズ愛

ツトムジャーナルはクリスチャンとしての僕の雑記ですが、
こっちはナイトdeライトのマネージャーとしてのブログです。

えっ?って思う表現があってもどうか多めに見てください。


去年はいろんなことがありました。
大きなチェンジがたくさんありすぎて、ちょっと燃え尽きかけたけど、
年末3週間休みをいただいてジャカルタに行ってきて回復。
新しい年が開けてから突っ走ってきています。

今年は一点集中です。
ナイトdeライトです。

このバンドのマネジメントに僕自身を注ぎ込もうと動いています。

1月からさい先よくコンサドーレ札幌のオフィシャルサポートソングを歌う事になりました。
それに伴い白い恋人のテレビCMソングにも起用されました。
Jコムの「月曜サポスタ」という音楽番組のテーマソングにも起用されました。

ラジオ出演も増え、メジャーバンドとご一緒させていただく機会も増えました。
ツアーは2ヶ月おきにやってきます。

ナイライファミリーというファンクラブも出来ました。

新しい世界が開けています。
自分が創られた目的にしたがって、
居るべき場所でやるべきことをやってるって実感して生きられるのは本当にうれしいことです。

よしっ突っ走るぞーーーー!


ツトム
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  [ 世界観 ]
2012-01-25(Wed) 21:14:16
大学時代に学んだことで覚えてることって少ないんだけど、
一年生の最初の授業で習った世界観という言葉は今でもすごく印象に残っている。

教授は世界観のことを「これは世の中を観るメガネのこと。すべての人がこのメガネかけているんだ」と言った。
まだ年が若いうちにかけはじめ、フレームを変え、度を増し、色を入れ、形を形成していく。
ある程度の年齢になったら変化しづらくなってしまうこのメガネを人はみんなかけている。
そしてそのメガネは人によって違う。
だから同じものを見ていても人によって見え方が違う。
一つの出来事が、ある人にとってはいいことであり、他の人にとって悪いことであったりする。

去年の暮れくらいからこの世界観について思いめぐらしていて、確信しつつあることがある。
それはクリスチャンであっても聖書的じゃない世界観を持つことがあり得るということ。
「これがキリスト教だ!」って大きな顔して言われていることが、
実は全然キリストが言っていたことではないんでないかってことが、
結構いろんなところにはびこっていると思う。

世界観は、その人の育った環境や受けた教育、やってきた経験、関わってきた人によってつくりあげられる。
そしてそのメガネがベースとなった上で、その上に聖書の価値観がのっかるだけで終わってしまうと、
聖書の言葉は、結局その人のメガネの色に合うものだけが上手に取り入れられていって、
大して大きなインパクトをその人生にもたらさないままで終わってしまう。
「キリスト教」が単なる宗教、あるいは倫理的に優れた教え、
あるいはご利益をもたらしてくれるテクニックで終わってしまうことが多いんだと思う。

でも聖書に書かれているキリストの教えを本気で真理だと捉えて、
そこに書かれている教えを真面目に実行しようとすればするほど、
それは自分のメガネの上にひっそりと乗っかる倫理では終わらないんだよね。

それ自体が世界観の根本を形成しているものに取って代わらないとまったく辻褄が合わないのだ。
イエスの教えにマジに捉えようとすればするほど、この社会では異質な存在になっていく。
クリスチャンであることって本来めちゃめちゃラディカルで過激なことだと思う。

今の時代、この国を動かしているシステムは資本主義。
頭のいい人達は、このシステムの中でうまくやっていく方法を模索して、
こういうメガネをかけたらうまくいくっていう法則を見つける。
いい高校に入って、いい大学に入学して、いい企業に就職して、
働いて、お金を稼いで、投資して、お金を増やす。
ちょっと前に死体で見つかった象印の副社長は資産100億円で16部屋ある豪邸に一人で住んでいたそうだ。
お金が人を幸せにしないっていうのは、この人一人の例を見ても明らか。
一生懸命働いて地位名誉金手に入れてその最期が広い豪邸で一人死んでることなんて悲しすぎる。

それなのに、満たされないって思って何をするかって言うと、
もっと頑張れるはず、もっと得られるはず、
もっと頑張ってもっと得たら満たされるはずっていうサイクルにはまっていく。
世界観がそれで固定されているから、他のやり方を知らないのだ。

そしてあまりに今の日本の社会の中でこのシステムが当たり前のような顔をしているもんだから、
クリスチャンでもついついこのメガネをかけてしまう。

資本主義という枠組みの中で、なんとか聖書の価値観を上手に取り込もうとして、
あーでもないこーでもないと辻褄を合わせようとする。
「聖書にはこう書いてある!だから繁栄される右肩上がりの成長を遂げられる!」
と偏った聖書個所を何度も引用し、自分の論理を証明しようとする。

でもいくらやっても辻褄が合わないんだよね。
だってこの世界で当たり前のようにまかり通っているシステムと聖書の価値観は根本的に異なっているんだから。

クリスチャンとして新生され、聖化の道をたどるってどういうことか。
それは自分の中に知らないうちに形成されてしまった世界観を、
時間かけて聖書の真理に書き換えて行く作業をしていくってことなんだと思う。

つまり、頭の中に出来上がってしまった資本主義合理主義の考え方を丁寧に取り去っていって、
聖書に本当に書かれている価値観、神の国の価値観を自分の世界観としていく作業。

自分の世界を観るメガネが資本主義であるかぎり、
聖書の真理にどっかで妥協しないと辻褄が合わなくなる。
辻褄を合わせるには結局その枠組自体を変えるしかない。

マタイ6章33節でキリストは、
「神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えてこれらのものはみな与えられます」
ってはっきりおっしゃった。

まず枠組みを神の国にすること。
それがキリストの教え。
これを本気で実践できた時、すごいことが起こると思う。

どの道資本主義は終わっていく。
「これが正しいメガネだ!」と人々が命をかけてきた方法は実はあっけないものだったと気づいていく。

大きな時代の節目、価値観のでっかいチェンジが今まさに起ころうとしている。
そういう時強いのは、「これが真理だ!」と確信持って言い放てる人。
不動の真理を土台に据えた世界観を持って、進む方向を周りに提示していける人だと思う。

ツトム
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  [ この人生 ]
2012-01-25(Wed) 01:52:39
僕の仕事の8割はお金にならないことだ。
そのくせ夜中まで寝られない。
2割の仕事で食ってる。
それでも朝は毎日早い。
ギリギリを毎日生きている。
でも自分の使命をフルに生きてる。
この充足感はカネなんかでは支払えない。
毎日の仕事が楽しくてたまんない。

車は無いし家は古い。
でも月に一度は飛行機乗ってうまいもん食う。

資格やスキルは身に付かない。
でも「生きる」ということが分かってくる。

将来にたいしての不安はあった。
就職、貯金、地位を築いて
安泰を求める方がいいって思ったことも幾度とあった。
でも卒業してから早2年。
この道を選んでよかったって心から言える。

どの道を選ぶかはとことん悩む。
でも踏み出したなら、きちんと道は開かれて行く。
そこに確かに備えがある。
それを確信して生きる人生。
頼れる方がいる人生。
自分が創られた目的をまっとうする人生。
そんな人生を生き続けたい。
楽しくなければもったいない。

ツトム
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  [ グレイゾーン ]
2011-10-19(Wed) 00:57:52
なんだか面倒くさい感じの記事を前回書いてそれから更新が止まってた。
今自分で読み返してみて、「めんどくさっ」って思った笑

でも多分こういう一瞬一瞬の葛藤とかって後に忘れちゃうから、
言葉にして残しておくことって結構大切なことなんだろうなーと思う。
ブログは「自分のための記録」っていう立ち位置でも書けるところがうれしいところ。


さて、僕はいま日中、札幌インターナショナルクリスチャンスクールっていう学校の
中学生、高校生の担任をしている。
まだ3年目の小さい学校で中高6学年合わせて12人だけど、いい学校だなぁって思う。
いわゆる公立の学校では無いから、授業もパーフェクトには行かないし備品だって全然揃ってないところも多い。
それでもなぜこの学校で学ぶかなぁって考えていたときに、一つこの学校の強みって思うことを見つけた。

それは、「自分で考える力」を養う教育がされていること。

はい、これとこれとこれが「正しいこと」で、これとこれとこれが「正しくないこと」です。
正しいことだけをやっていきなさい。
って教えられてやるのは、そのシステムの中での形の上では綺麗な生徒が出来上がる。
でもそっから一歩飛び出して、「正しいこと」「正しくないこと」を上から提示されない状況になった時、
ぐらつきまくってどうしていいのかわからなくなる。

実際「正しいこと」「正しくないこと」なんて結構いい加減で、
その時の状況によって変わったりする。
その時その時に、何が正しいかを自分で考え、選択する力。
それも、神に祈り求めて、神様の視点から何が正しいかを選択する力。
これこそが「生きる力」だなぁと思う。


こないだの記事の言葉を使うと、
「これとこれが「正しいこと」でこれとこれが「正しくないこと」だよ」ってラインを引くのは、
白黒はっきりつけること。
提示された白を淡々と選んでいればいいんだから、言ってみれば楽な話。

でも難しいのは、そのシチュエーションによって白黒明確になっていないグレイゾーンでの「正しいこと」の選択。


そもそも人生なんて白黒はっきりしてないグレイゾーンばっかの世界なんだから、
結局提示されたものを完璧にこなすことよりも、神の視点で考えて、考えて、考えぬいて、選択していく。
その力の方がずっとずっと大切だなぁって思った。

この学校は、そういう一番大切な力を他のとこより少しだけ身につけられるんじゃないかなって思う。

でも誰よりも先生が一番その「グレイゾーンでの生き方」の訓練を受けてるかもしれない。


ツトム
クリスチャンTB : 0CM : 5
  [ 今のもんもんを言葉に。 ]
2011-10-08(Sat) 23:39:22
なんだかもんもんとした数日間を過ごしてる。
なかなか漠然ともんもんとしていて、言葉にする自信が無いんだけど、
言葉に出来ないと客観視できず、そうなったら分析も相談も出来ないから、
ちょっと頑張って言葉にしてみようと思う。

まず、自分の中に、不安とか焦り、不安定さがあるなぁって思う。
それは突き詰めると、「自分はいるべき場所でするべきことをやってるのか」がわからなくなっているからだと思う。

その質問が自分を焦らせる。不安にさせる。そうなると周りをキョロキョロ見渡して、自分の立ち位置を見つけようとする。
同じ年代の人の行動、考え方、あり方と自分を比べてしまう。

何を見つめて、何を期待して、何を持って、何を原動力として進んでいったらいいのかよくわからない。

時間の使い方とか人との付き合い方とかのバランス、
そして神様に任せる割合と自分の力で頑張るバランス、
絶妙なところで保たれるべきバランスのその安定した位置が見えなくなって
体制崩れてきている。

同じクリスチャンでも、周りに本当にいろんな生き方、人生哲学を持っている人がいて、
尊敬するクリスチャンの先輩同士でもある分野に関して全く違った考え方を持っていたりする。
そういういろんな「声」の中で自分の道を探っていくんだけど、そういうでっかい道のりの中で何が正しいのかわからなくなる。
失敗するのが怖い。10年後、今の自分を見なおして「あそこであーしとけば」って思うのが怖い。


客観的に見てみると、自分は結構自分自身に厳しいと思う。
高いハードルを自分に与えて、出来ない自分を責める傾向がある。
夜寝る時に「もっとよく生きられた」って後悔しない日は少ない。
いつも何かに追われている。
これって健全じゃないと思う。

この行動は、
「おれはクリスチャンなんだ。日本に0.3パーセントしかいないクリスチャンなんだ。
おれが影響力持てるような人間になっていかなくてどうするんだ」って考え。
ピリピ3:13,14に見るような「後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進んで」いく
パウロ的姿勢。
5タラントもうけたしもべが言われた「よい忠実なしもべだ。」って天国行ったとき神様から言われた同じ言葉を言われたい思い。
そういう思いが、
「勤勉に生きる必要がある。こんなんじゃ足りない。自分のコーリングに応えきれてない」
って焦らせる。

そういうピリピリした感じになったら
大抵自分よりしっかり生きてない人を見つけて見下すか、
自分のいたくてもいれない世界に生きる人を見てうらやむかのどちらか。
これは何かが違ってる。

第二テモテの4:5に、
「どのようなばあいにも困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」
とあるような、
体育会系信仰形態、がむしゃらに突っ走れなパウロ的態度はもちろん聖書の中に見られるんだけど、

同時に
マタイ11:28−30でキリストは、
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所に来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます…わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

とも言われる。

もうどうしていいのか分からない。
自分に鞭打つ勤勉さを持って突き進んでいくべきなのか、
休ませてくれるキリストの恵みに浸ってゆったりするのか。


多分会社とかに勤めてる人は、ある程度半強制的に「勤勉さ」を求められる場所にいて、
そのなかで不条理な世界に揉まれながら、でもやめるわけにも行かず忍耐養って成長してけるんだろうなって思うけど、
僕の場合は忙しくするのもぐたーっと休むのも自分次第。
どうにでもなるもんだからまた悩む。

とにかくグレイゾーンが嫌で、白黒はっきりついてて欲しい。
白黒はっきりつかないようなところにいるのは居心地悪いし、いつも何かがつっかかってみたいな感じ。
でも僕の牧師は、「白黒はっきりついてる人生なんてつまんない」って言う。
白黒はっきりつくのは、2次元的な世界。線で区切られる人生。
グレイゾーンは、3次元的な立体の世界なんだ、という。
これはこれでめちゃめちゃ納得する。

確かに自分が今求めてるのって、
何時から何時までどこどこに行って、こうしなさいって言われたことをする。
こうしたら神様との関係も守られて、安定した収入も入って、
健全な関係も保たれて、みたいな。
「安泰地区」を探してるのかもしれない。
でもそれはやっぱりつまらないのかも。

グレーゾーンの正解がない世界で、
こうかなぁ、いや、やっぱりこうかなぁって考えながら立方体を作り上げていく。

これが求めるべき立ち位置なのだとすると、やっぱりいまのこの混沌とした不安定感も通るべきところを通らされてるのかな。


神様がどんなプランをこの人生に持っていて、そのプランが形になるために、今自分はどう生きればいいんだろうか。
今の生き方でいいんだろうか。

どうしたらいいんだろう。



ツトム






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  [ 余裕のある男 ]
2011-09-21(Wed) 23:37:49
ひっさしぶりに風邪引いて、
今日は一日寝込んでいました。

と、言ってもただただ何もせずに寝込んでいるのはしゃくなので
ひたっすら映画観て、読書していました。

無駄に時間が過ぎるのが嫌だから、と映画と読書に明け暮れたけど、
なんだか途中くらくらしてました。
やっぱりこういう時は素直に「無駄」な時間を過ごしたほうが良さそう。


映画と読書の合間にいろんなことを考えていました。
映画にしても読書にしても、「考える」きっかけをくれると思います。
考えるっていうのはいいもんです。

風邪でも引かないとこういう時間を過ごさないけど、
日常的に普段考えない深いことを考える環境づくりをしていきたいと思いました。

目の前の作業を淡々とこなすんじゃなくて、
合間合間に息を抜いて、考える。視野を広げる。
余裕のある男になりたいです。

あーー
余裕のある男になりたい。


ツトム
未分類TB : 0CM : 3
  [ みんなの家 ]
2011-09-15(Thu) 23:35:38
風邪が流行っていますね。
いかがお過ごしでしょうか。

もう夜中に差し掛かる時間帯だっていうのに
下では大学生たちがWIIでスマブラ盛り上がっています。

新しい我が家が出来て1ヶ月。
完全に「みんなの家」と化してしまいました。

写真は先週日曜日のインターナショナルパーティーの様子。
毎日楽しく過ごしています。

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ここはギバーズハウス。与え合う家、研ぎ合う家。
http://givershouse.com/


鉄は鉄によって研がれ、
人はその友によって研がれる。ー箴言27:17

ツトム
ジェネラスギバーズTB : 0CM : 2
  [ ビジョンをしっかり握るとき。 ]
2011-09-10(Sat) 23:50:45
先月「夢ある若者を応援するマネジメント会社」株式会社ジェネラスギバーズが起ち上がった。

大学2年生くらいの時、はっきりとビジョンを握った。
神様から夢を与えられ、その夢のために走っている若者がいる。
だけどそれを形にしていくだけのノウハウ、財力、コネクションが無い。
そういう若者が自分の見た夢を実現してくための助けがしたい。
会社を起こしたい。その思いが3年経って形になった。

別にいつもずっと強く想い続けていたわけじゃないけど、
お金も知識も経験もないおれだけどこうして株式会社が起ち上がったのを見て、
夢のチカラってすごいなぁって改めて思った。
描いたビジョンは形になる。
それが神様から来ているビジョンだったら必ず実現していく。

そうだとしたら、人の人生は、その人がどんなことを成していくかは、
その人がどんな夢を見ているか、どんなビジョンを描いているかでおおかた決まってる。

ビジョンを描くのは自由。おまけにタダ。
ビジョンを描いた先に道が出来る。その道を進んでいけば形になる。


聖書にはこういう言葉がある:
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
−ピリピ2:13



この言葉には、神様がご自分が願うことを形にしていくためのステップが凝縮されていると思う。
神様が何かを起こそうと思うときに事はこういうふうに起こっていく。

神様がみこころを行う土壌が整えられる→神様が私たちの内に働く→志(ビジョン)を立てさせる→私たちを通して事を行わせてくださる。

ここですごいなぁと思うのは、神様は神様なんだから、勝手に自分で全部出来るんだよね。
「光よあれ」と言ったらポンと光が現れる神様。なんでも言葉一つで起こってしまう。
だけど神様は自分の願ったことを実現するために、俺ら人を持ちたいと思われる。
自分一人でやったほうが絶対うまいくいくのに。

何故か神様はおれらと共同作業で自分のみこころを形にしていきたいと思われるんだよね。

だから、おれらの中に志(ビジョン)を与えられる。
そしてその神様によって与えられた志をおれらがしっかり握って立ちあがるとき、
その事を神様は行わせてくれる。
神様の御心がこの地に起こっていくのは、神様と従う俺らの共同作業によってなのだ。

そう考えると人生面白過ぎる。
神様の「みこころ」がこの地に起こるために神様がおれらとタッグを組んでくださる。
「一緒に形にしていこうぜ」って言ってビジョンを描かしてくれる。


自分が今ここにいる理由が、
この時代に生まれて、
この札幌の地で今やってることやってる理由が
少しずつ分かってきた。

ぶつかるけど、葛藤するけど、うまくいかないことばっかだけど、
でも神様が「一緒にやってこうぜ」って手を差し伸べてくれる。
最高のパートナーがいつも共にいる。

描いた絵は、形になっていく。

ツトム
クリスチャンTB : 0CM : 2

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